『につつまれて』(1992)河瀬直美初陣!ドキュメンタリーで始まった映画作家人生。

 カンヌ映画祭でグランプリを取った、河瀬直美監督がその名を始めて世に知らしめた記念すべきデビュー作品がこの『につつまれて』であるが、これはいわゆる劇映画ではなく、ドキュメンタリー映画でした。

 静かで内省的な映像とその繋がりを見ていると、ロシアの巨匠、アンドレイ・タルコフスキー監督の映像感覚を思い出しました。彼女自身はほとんど映画を見たことがなかったそうですが、彼女が持つ独特の感覚にはなぜかタルコフスキーのそれを思い出させてくれる。

 『につつまれて』は複雑な家庭事情を抱える河瀬監督本人の生い立ちを自らのカメラで浮き彫りにしていく、痛みの伴うセルフ・ドキュメンタリーであり、過去の自分と家族の問題に、23歳の時に逃げずに正視した作業を記録していったものである。

 自分の過去を曝け出すことから始まった彼女のプロキャリア、ありのままの自分を出すことにより、すべてを清算し、これからの未来を作り出そうとしたのだろうか。苦痛と葛藤を伴う自分探しに彼女は正面から向かい合った。

 音の強弱や光と影の見せ方で明らかになる彼女のセンスに感心させられた作品でありました。無音状態が長いのも特徴です。うるさい挿入音楽に慣れきった劇映画のファンには新鮮だったことでしょう。

 作品を丁寧に見ていくことによって、だんだんと明らかになっていく彼女の生い立ちからくる寂しさとそれでも前向きに生きていこうとする意志の強さ、そしてまだ心に強く残る生き別れになった父親への思いはフィルムをみれば理解できるでしょう。

 クロース・アップの多用とリズムを変えるために使われる、名もない草花や静物、そして夕焼け空のカットは力強いが、どこか寂しげである。人間以外のショットに才能の豊かさを感じる。

 河瀬自身の顔が実母にそっくりであったというのは当たり前であるが、父親と映っているそのスナップ・ショットに短かった幸福の時間が切り取られている。それがまた切ない。このフィルムを見ていると、室内での時間の流れが遅く感じる。

 退屈なのではない。ゆったりと流れているのだ。ドラマ(劇映画)ではない証拠であろう。しかしこの映画は十分にドラマチックであると思える。自分自身を捉えた作品である以上、たんなるドキュメンタリーにはなりえないのは当然である。

 見続けていくほどに、彼女の辛さもフィルムを通して理解できます。痛々しいが、彼女にとってはこの自分を確認する作業は絶対に必要だったのでしょう。タイトルの『につつまれて』の「に」の前に来るのはおそらく「家族」であり、「愛情」だったのかもしれません。

 もちろん彼女は両親はなくとも、母方の祖母の妹に引き取られ、そのおばさんの愛情に包まれて育っていきましたが、両親の愛とはまた違うのも事実であり、心の深い部分には彼女しか分からない心の闇と苦しみがあったのでしょう。

 祖父母は離婚し、両親も離婚し、現在では自身もまた離婚(その後、再婚したようです。)という結論を出した彼女にとっては家族という意味はとても深く複雑であろう。それぞれ時代や状況が違うので、軽々しくは語れませんが、つらい状況が三代に渡っているのは哀しい。

 生みの母親とは何度となく会っているようでしたが、父親とは23歳まで全く一度も会っていない。何故彼女がこの年齢になってから、会おうとしたのかは分かりませんが、彼女の中では会わねばならないという強い思いがあったのでしょう。

 最後に一瞬だけ映される父親と思われる男性の現在の様子。どこか恥ずかしそうで、どこか嬉しそうな複雑な笑みを浮かべている。みな救われたのであろうか。

総合評価 70点
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